Vol.01 諫早の歴史
諫早眼鏡橋と白木峰高原

“諫早”の名付け親は、武将だった!?

 “諫早”の地が初めて歴史の舞台に登場するのは鎌倉時代のことです。しかし、この頃の古文書を紐解くと、諫早ではなく「伊佐早」という名が記されています。
 豪族たちが勢力争いを繰り広げていたこの伊佐早地方を統一したのが、西郷尚善という人物でした。あまり馴染みのない名前かもしれませんが、彼が築いた山城の址が現在の諫早公園だと知れば、親近感が湧きますよね。
 西郷氏は百年にわたって伊佐早の地を治めましたが、四代目信尚の時代に龍造寺家晴によって討たれてしまいます。
 その後、二代目龍造寺直孝は自らの姓と土地の名を「諫早」へと改めました。そしてこの地は、明治維新まで諫早家によって治められてゆくのです。
 龍造寺氏が「諫早」と名を改めなければ、今でも諫早は伊佐早のままだったかもしれません。諫早とは、一人の武将が名付けた地名を今でも大切にしている、そんな土地なのです。
鎧

諫早をつくった戦上手で心優しき武将

 西郷氏を討った龍造寺家晴という武将については、ほとんど文献が残っていません。しかし、諫早公園を歩いてみると、少しだけ彼のことが見えてきます。
諫早公園には、かつて西郷尚善が築いた高城と呼ばれた山城がありました。細くて急な坂が続く山道を登れば、ここが戦のために築かれた城であることがよく分かります。龍造寺家晴は、この山城を見事に攻め落としたのですから、戦上手といえるのではないでしょうか。
しかし、家晴は強いだけではありません。諫早公園から少し離れた場所に「西郷(にしごう)」と呼ばれる地域があります。この場所は、龍造寺家に攻められた際、西郷家の女性や子どもたちが逃げ出して住み着いた場所だといわれています。つまり家晴は、命乞いをする敵方の女性や子どもたちを「さいごう」ではなく「にしごう」と、読み方を改めさせて領地内に住まわせたのです。諫早家の初代は強くて優しい、愛すべき武将でした。
諫早公園

諫早公園周辺は、
犬も歩けば歴史に当たる
ロマンのエリア

 諫早公園の周辺は歴史と文化の宝庫です。まず見ておきたいのは、重要文化財の諫早眼鏡橋。永久不滅の願いを込めて天保10(1839)年、本明川に架けられた日本最大級の二連アーチ橋は、日本で一番美しい石橋ともいわれています。
 神社めぐりが好きな人なら、古くから「おしめんさん」の名で親しまれている諫早神社や、諫早家初代龍造寺家晴公を祀った高城神社へ。諫早神社の月ごとに変わる多彩な御朱印や、高城神社の一風変わった石細工など、ここだけのお楽しみが満載です。
 また諫早家の菩提寺である天祐寺や、総けやき造りの山門が美しい慶厳寺、シーボルトが宿泊した安勝寺など、諫早を代表するお寺が集結しているのもこのエリアです。さらには、御書院・高城回廊や諫早市美術・歴史館、諫早ゆかりの作家や詩人の碑など、文化の香りが漂うスポットも点在しています。
諫早公園周辺を散策しながら、知られざる諫早の歴史にふれてみませんか。
眼鏡橋

足を延ばして行きたい、
伝説が残る2つのお寺

 昔から信仰の場として人々の心のよりどころになっている多良岳。その山腹には、弘法大師・空海が創建したと伝わる金泉寺があります。戦国時代、金泉寺はキリスト教徒による焼き討ちに遭いますが、ご本尊である不動明王と二童子立像は、ある僧侶が命懸けで守ったことで無事でした。弘法大師自らが刻んだというご本尊を、私たちが今でも目にすることができるのは、一人の僧侶の決死の覚悟があったからなのです。
 また諫早で最も古いお寺としても知られている和銅寺には、龍造寺家晴の兄である龍造寺隆信のお墓があります。「肥前の熊」との異名をもつ隆信ですが、最後は、有馬・島津連合軍との戦いに敗れ、島原で亡くなります。隆信には、この戦に行く前に和銅寺でおみくじを3回引き、3回とも凶が出たにも関わらず、出陣したというエピソードが残っています。和銅寺には、人生の危機を教えてくれる神様がいらっしゃるのかもしれません。

諫早の母なる川・本明川

 昭和32(1957)年7月25日。諫早のまちは未曾有の大水害に襲われました。記録的な集中豪雨により山は崩れ、堤防は決壊し、本明川をはじめとする市内の多くの川が氾濫。家も学校もすべてが流され、一夜にして630名もの尊い命が失われました。
夜が明け、人々が目にしたのは、泥水に沈んだ地獄図のようなまちの姿でした。しかし諫早の人々は諦めませんでした。道路が決壊し、救助ができない陸の孤島となったまちまで、わずか8日で仮道を取り付けるなど、復興への道を歩みはじめたのです。
そして一年後、本明川に奇跡的な光景が現れます。犠牲者を慰霊しようと、集まった人々が川に万灯を流し、祈りを捧げたのです。この「一周年追悼会」をきっかけに、本明川では毎年7月25日に「諫早万灯川まつり」が開催されるようになりました。川面を静かに流れる万灯に手を合わせる人々の姿からは、防災への強い思いが感じられます。
平成19(2007)年には大雨による洪水被害を防ぐための諫早湾干拓事業が完了し、本明川の氾濫は減少しました。
諫早の母なる川として愛される本明川は、散策にもぴったり。穏やかな川面と、飛び石を渡る子どもたちの姿に癒されてみませんか。

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